えぐしろ日記

剛さんが大好きみたい。( ・ω・ )/剛さんのお芝居情報には、尋常でない喰いつき方をします。

【本】『神も仏も大好きな日本人』

神も仏も大好きな日本人

 この本を手にとったキッカケは、日本の神道と仏教の混じり具合ってどうなってるの??という疑問がもやもやとしたまま頭にあったからです。

 神仏習合(しんぶつしゅうごう)とか、神仏分離(しんぶつぶんり)とか、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)とか、耳にはしたことあるけど、「で、何がどうなん?」状態だったので、一回ザックリまとめてスッキリ把握したいものだ…と思っていたんですね。

 そんなわけで、読んで「おお!なるほど!!」と思ったことがいっぱいあって、でも自分で覚え書きでまとめておかないと、一週間もしたらまた「…で、何がどうなんだっけ?」と曖昧になるだろうと思った(笑)ので、引用しながらザックリまとめて書いておくこととします。

 もともと明快な体系立った教義のないアニミズム(自然信仰)である神道と、宗教として輸入されてきた仏教はごく自然に日本で混じり合っていったわけなんですね。
 例えば、“八幡神”はもともと九州豪族の宇佐氏の氏神(うじがみ)だったのが、いろいろあった挙句(←あ…。)奈良時代東大寺の仏像建造の際に宇佐八幡神が勧請(かんじょう*1)されてきたりとかしたわけです。
 で、東大寺の建立を助け、仏教を守護し、人々を救済する上で役割を果たした、として、朝廷から「八幡大菩薩」という神号を八幡神は賜ったそうです。はい、混じってます。神なのに菩薩とか言われちゃって、ええ?!状態です。
 が、まあ、よく考えたら、仏教である仏像を無事つくり上げるのを祈るのに、神道の神様が祀られる…という時点で既に、もうごく普通に混じり合っちゃってるわけですよね。

 こういうふうに、自然と混じり合っていた神道と仏教だけれども、ただし、両者の関係に明快な理論はなく、それが与えられたのは平安時代なわけです。
 その明快な理論というのが、つまり、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)
 これは、“日本においては仏教の仏神道の神として現れたのだ”とする考え方なのだそうで。
 この言い分を読んで分かる通り、これは仏教側が自分に都合よく、仏教が神道より優位な立場にあることを前提として唱えた説なわけですよ。
 この説ができてから、天照大御神大日如来、とか、そういう結びつけがされていったと。ただし、言ってみれば都合よくこじつけたようなものだから、A=Bのように絶対的なものじゃなくて、場所によってはA=CだったりA=Dだったりいろいろだったと。
 この対比は、仏のほうが「本地仏」と呼ばれ、神は「垂迹神」と呼ばれたあたり、神道からしたら失礼しちゃう(((;゚Д゚)))状態ですよねぇ。(例:「天照大御神本地仏大日如来」、「大日如来垂迹神天照大御神」というように使われる。)

 で、まあ、こんな感じできたのが、明治維新神仏分離神道と仏教にまた分けられたと。(←はい、神仏習合を読むあたりで集中力が切れました…。ここらへんだいぶザックリいきます。)

 他の本とか読むと、多分もうちょっと複雑だったりするのかもしれないけど、自分の中で、これである程度消化出来ました。(^ω^)

 この本を読んでいて面白かった考え方が、現在の日本人の“無宗教”というのは、この神仏分離が大いに関係あるのではないかという意見でした。
 かつて長い間、分かちがたく結びついていたこの神仏がmixされた宗教が日本の宗教であったのに、分けられたために、「わたしの宗教はこれです」と一つにハッキリ言えなくなったと。「神道といえば神道も取り込んでるし、仏教といえば仏教にも関係してるし…まぁ、無宗教かな?」という状態が現在の日本人で、これはけっして無宗教なのではないと。(なるほど!)そしてこのmix宗教にむしろ長きに渡って親しんできたために、宗教として意識するより日常にすっかり入り込んでいて、「これが私の宗教よ!」という情熱的に語られるようなものでなくなっている、と。

 あともう一個面白かったのが、神道が仏教と袂を分かつにあたって、様々な様式が明治維新後にできた、ということ。なんか、すっごく腑に落ちた!
 あの神道の「二礼二拍手一礼」の柏手を打つ行為とか、太古の昔からある様式にしてはあんまり日本人に馴染んでる感じ無いよな〜と思っていたんだけど、あれって、出来上がってから140年ほどしか経っていない新しい様式なんですね。
 それも当然で、昔は神仏が違和感なく結びついていたので、いま拝んでる本殿が神道とも仏教ともどちらとも言えない状態が普通だったから、場所によって「手を合わせる」のか「柏手を打つ」のかの区別の付けようがなかったんですね。

 ところで、この本には春日大社興福寺長谷寺大神神社(おおみわじんじゃ)など、奈良の神社仏閣もさまざま取り上げて説明されていて、奇遇なことに、先日訪れた根津美術館の「春日の風景」展に関係ある記述もあったりして、それらが実際に訪れたり見たりした経験があったので、すごくイメージしやすく読んでいてすんなり頭に入ってきました。
 これが行ったこともないような神社仏閣についてあれこれ語られてたとしたら、いまいちピンと来なかったんだろうな〜。

 それでもって、なんでそんなに神社仏閣を訪れてるかというと、今流行りの仏像女子(…じゃなくて、何て言ったっけか…?)なわけじゃなくて、堂本剛さんファンのために奈良近辺を訪問する機会が多くなり、観光としてお参りしてたのが役立ってるわけなのです。剛さんファンになった恩恵が、こんなところにも。(笑)

*1:他の所から神仏が連れてこられること。